CHAPTER 03 / 05

迫害を越えて同志社へ、そして明治日本を動かす原動力に

―― 「熊本バンド」の誕生と躍動

花岡山で「奉教趣意書」に署名した青年たちは、洋学校の教師や家族・親族からの激しい迫害に直面します。さらに、指導者であったジェーンズの解雇、熊本洋学校の閉校という大きな試練が重なりました。しかし、彼らの情熱は消えませんでした。

ジェーンズの紹介を受けた青年たちは、アメリカン・ボード(アメリカ会衆派教会の海外伝道組織)の宣教師デービスらの協力を得て新島襄が京都に創立した「同志社英学校」(現在の同志社大学)へ転校しました。

熊本洋学校で磨いた知識と熱い情熱を持つ彼らは、宣教師たちから「熊本バンド」(※バンド=志を同じくするグループ)と呼ばれました。彼らは卒業後、キリスト教界をはじめ、政界・財界・官界・教育界・言論界など、明治期の日本を牽引するリーダーとして各分野で華々しく活躍しました。