横井時雄と海老名弾正は、熊本バンド発祥の地である熊本に会衆派教会(当時の「組合教会」)を設立することを強く望んでいました。
その思いが実り、1885年7月、同志社の神学生・辻密太郎が熊本へ夏季伝道として派遣されます。辻はキリスト教の「講義所」を開き、翌1886年3月に21名の受洗者を得ました。これが当教会の歴史的な出発点となります。
1886年4月、全国の会衆派教会を結集した「日本組合基督教会」が発足した際、横井時雄の熊本赴任が決まりました。しかし諸般の事情により断念し、翌1887年9月、海老名弾正が代わりに着任します。海老名は教勢を大きく拡大させ、講義所を仮教会「日本組合熊本基督教会」へ昇格させるとともに、教会堂の建設地を現在の位置に定め、教会の礎を確立しました。
その後、1941年にプロテスタント諸教派(長老派、メソジスト派、組合派など33教派)が合同して「日本基督教団」が発足したことに伴い、当教会も「日本基督教団 熊本草葉町教会」と改称し、今日に至ります。なお、歴代牧師のうち4名(古庄三郎、横井時雄、海老名弾正、蔵原維郭)が熊本バンドの出身者です。
当教会の2つの原点
私たちは今もなお、以下の2つを教会の原点として大切に守り続けています。
- 熊本バンドの精神を受け継ぐ熊本バンド記念教会としての伝統
- 各個教会の自由と意思決定を尊重する会衆派教会(組合教会)の精神